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2008年11月28日
[ 01 ホットでクールな社長達 ]
さようなら 赤羽弁護士
大変お世話になりました。
赤羽先生、
なんと申し上げて良いやら、言葉が見つかりません。
先生がいらっしゃらなければ、当時、あの会社を潰していたと想います。
その後もいろいろご相談にあがっては、お話しをさせていただきました。そうそう、お名前を伏せてエントリしていましたが、当時あの銀行を正して頂いたのも先生でした。
最後にお目に掛かったのは今年の春でしたでしょうか。お元気そうに見えたのですが・・・。
残念です。
***
弁護士の赤羽富士男さんです。
いつかこのブログにもご登場頂こうと想っていたのですが、このような形になるとは夢にも思いませんでした。
先週、膵臓ガンでお亡くなりになりました。享年46歳。あまりにも早すぎます。
東大空手部、大変、男気のある方でケンカは強いが、人情に厚い、そんな方でした。
仕事熱心な方で、以前お酒をご一緒したときに、
「元旦しか、休みませんね。あとは364日仕事してます。」
と、自慢するわけでもなく、普通に語っていたサマに驚いた記憶があります。
先生といろいろ濃密にお付き合いしたのは5年くらい前でしょうか。
日曜日、朝も早よから会議にお付き合いいただいて、銀行交渉やら何やら討議を重ねました。当時のノート、私まだ持ってるんですよ。

ページを捲っていると当時を想いだして、赤羽先生の姿を想いだしてしまって、涙がこみ上げてきますよ。ノートに記された赤羽先生のコメント
。的確なそれらの中でも印象深かったのが、
「最後の最後は仲間をきちんと守れるかどうかだよ。」
と。先生はこれを複数回繰り返しています。
弁護士ではなくて、人間 " 赤羽富士男 " としてのコメントになっていた。つい先日のことのようです。
本当に残念です。
心よりご冥福をお祈りいたします。先生、ありがとうございました。
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投稿者 tatsuow : 2008年11月28日 16:50


コメント
以前、赤羽先生の秘書をしていました。
たまたま調べることがあって検索をかけていましたら、こちらに辿りつきました。
亡くなられる一ヶ月程前にメールのやりとりをさせて頂きました。その時には全くこのようなことになっているとは知りもしませんでした。
退職後も個人的にお付き合いをさせて頂きましたが、ご存知のように毎日休む暇もなく多忙な人でした。でも、勤務中には後にも先にもない札幌への事務所旅行が今も思い出に残っています。富良野のラベンダー畑でにんまりと笑みを浮かべていた先生を忘れられません。
いずれご恩をと思っていましたが…
ご冥福をお祈り致しております。
投稿者 KAORI : 2010年08月25日 11:41
弟の日出男です。多くの方々に兄を悼んでいただき、感謝の言葉もありません。入院から永眠するまで4週間しか兄には残されていませんでした。民事再生という困難な道を選び、尋常ではない仕事ぶりで尽力したと聞いております。不器用な優しさと、鉄の意志を持って駆け抜けていった、何とも兄らしい46年の人生でした。王貞治、北の湖敏満、シュガー・レイ・レナード、マイケル・ジョーダン、そしてたった一人の愛娘をこよなく愛していました。私は緩和医療に携わっており、つきっきりで兄の疼痛管理を行い、告知も、経過も包み隠さず話してきました。お互いに仕事を始めてからはからはこれほど長く兄弟で接した時間はなかったほどです。淡々と事実を受け入れて、限られた気力・体力をを振り絞り指示を出してました。食事もほとんど取れなくなっていましたが、調子のいい日に、以前から評判を聞いていたという佐世保サンドを嬉しそうに平らげた姿が忘れられません。頼れる兄、誇れる兄でした。今は兄の遺品の多くを身につけて、兄を偲び、兄のように自らの仕事を全うできるようにと日々を送っています。
投稿者 赤羽 日出男 : 2009年08月25日 23:00
みなさま、コメントありがとうございます。
みなさまのコメントを読むとまた涙が出てきてしまうんであります。
毎年11月になったら皆様と酒でも酌み交わしたい気分であります。
合掌
投稿者 わたなべ : 2009年01月09日 17:33
弁護士会の訃報で赤羽先生が亡くなられたのを知り、ショックで言葉もありませんでした。知人にこのブログがあることを伺い、投稿させていただきます。
赤羽先生とは同い年で、司法試験の勉強会でずっと一緒に過ごさせていただいた、まさに青春時代を共に過ごした仲でした。戦争には行ったことはありませんが、戦友を喪ったような、若しくは、青春時代を全て切り取られたような喪失感で言葉もありません。
赤羽先生は、ボクサーでもありましたが、法律の議論をするときでも、蝶のように舞い蜂のように刺すような鋭い視点から議論されていたのを、今でも昨日のことのように覚えています。
赤羽先生は、本当に細やかな神経を持たれた方で、一緒にいる相手の立場や相手が嫌な思いをしてないか、ということをいつも気にかけておられる、とても優しい方でした。
赤羽先生はお小さい頃は国技館でも有名な相撲少年だったそうです。しかも、大相撲の全ての取り組みを正確に記憶しているという恐ろしい記憶力の持ち主でした。そんな格闘技の話をするときの彼のイタズラっぽい笑顔が忘れられません。ラスベガスに行ってマイク・タイソンの試合を見に行っていた司法試験受験生は、後にも先にも赤羽先生お一人ではないかと思います。
亡くなられたなんて言われてもピンときません。あの人なつっこい笑顔が何か話したそうで。。。弁護士会で顔を合わせたときでも、遠くから先に見つけてくれて(視力もすばらしく良い赤羽先生でした)、満面の笑顔で「元気ですか~」と先に声をかけてくれる赤羽先生でした。
朝まで飲んでも全然酔ったような素振りも見せないタフな赤羽先生でした。アリやフォアマン、マイク・タイソンの話をしているときの屈託のない笑顔しか想い出せません。
まだ闘いのゴングが鳴ったばかりなのに。。。無念でたまりません。
合掌
投稿者 弁護士佐々川直幸 : 2009年01月07日 15:28
小職はSMBCビジネスセミナーで先生の担当でした。総務部門のリスク管理、手形小切手まどをテーマとした法律セミナーがメインでしたが、昼食の時のボクサー、格闘家としてのお話が面白かったです。惜しい方を失いました。今年の痛恨事です。
投稿者 山口伸一 : 2008年12月29日 10:32
はじめまして.
赤羽先生を惜しむかたが、ここにもいらっしゃったのかと思うと感無量で、改めて涙がこみあげてきます.
本当に先生は男気のあるかたでした.というよりも人としてのあり方を全身で表現しているかたでした.私の中ではいまだに過去形にはしたくありません.あまりにも突然のことですし,いまだに現実的とはおもわれません、いつものように、ひょっと、連絡がきて、気のおけない同士,今週末は朝まで,語りあかそうと予定をくみそうです.
されど、生きよ,といつものように先生はいうことかと思います.
そして、生きよと,,,
投稿者 いけだ : 2008年12月07日 21:02