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2006年01月29日
[ 03 プライベート ]
歌
先日TBSで放映された「1秒の世界」 を見ました。女優の坂井真紀さんが砂漠の地に赴いて植樹のお手伝いをするコーナーがありました。 番組によると1秒間にテニスコート20面分もの砂漠化が進んでいる一方で、植樹によって5面分が増えている計算なんだそうです。村では、 40年前に植樹した木が一抱えもある太さになっていて、感動させます。子供も大人も一緒になって汗をかいて土を掘り、木を植え、 水をやって一日過ごします。
上の写真は植樹を終えて、家族の食卓に呼ばれているときに、末の子がお礼に歌を歌うと言い出して、歌っているところです。 (画像をクリックで動画)
歌詞はこうです。
皆さん、
がんばって木をたくさん植えましょう
砂漠を緑にしてキレイな景色をつくりましょう
何もない砂漠をポプラとニレの木にしましょう
何もない砂漠を緑にして新しい景色をふやしましょう
恥ずかしながら、歌を聴いていて涙が出てきてしまいました。最近出来た歌だそうで、この子は少し恥ずかしそうに、 それでいて得意そうに立派に歌ってくれました。ちなみに、坂井さんも歌詞の意味をあとで知らされて号泣してました。

今、鞄の中に入れている本です。京セラの稲森和夫さんと作家の五木寛之さんの対談本です。
その中にこのようなくだりがありました。
いまは子供から大人まで世代を超えて共に口ずさめるような日本人の歌といえる歌がどこにもない。 それが日本人のこころが乾いてしまっている一つの原因なのではないかと思っているのです。 ---五木
植樹というのは単純なるも辛い重労働。大木になるのは数十年も先なので、この家族に恩恵が直接あるわけではないかも。でもその先に、 緑の景色をつくるという夢というか、共同の目標みたいなものがあって、家族で励まし合うツールとしてこの歌が機能している。
逆に言うと、こんな単純な歌詞と単調なメロディでも、歌として十分に人の心に染みるんだなぁ、 家族の絆に思いをはせることができるんだなぁ・・・、なんて思ってたらウルウルしてきちゃったのですね。オヤジ度87%。
でも、この家庭ホントに幸せそうに映ってます。人間の幸せの原点を考え直すに、貴重な映像だな、と。
投稿者 tatsuow : 14:47 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月27日
[ 03 プライベート ]
輪廻転生

家の近くに結構おおきな公園があり、春先には家族と散歩によく出かけていました。ウッソウとして緑々繁る木々は都会のそれとは思えず、 鳥の声もたまに聞こえて、虫が花や草の陰に見え隠れもしていました。小さな花が可愛いと思え始めたのは、ママの影響か、 中年と呼ばれて相応しい年齢のせいか。
たくさんの木々や虫はひとつひとつ命があるのですが、ひとつの命が単独で生き続けられるわけではありません。 ある意味では人工的に作られたこの公園の中でさえ、それを感じます。散歩中に思いついて家族に出したクイズ、
「この公園に命はいくつあるか?」
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一昨昨日父が亡くなりました。80歳。今日はお通夜です。我が儘な人生だったと息子にして思いますが、 眠っている顔をみるとやはり少ししんみりします。死んだあとはどうなるんだろうなぁ。
「おかあちゃんはどこへ行ったの?」
「お前のおかあちゃんは星になったんだよ。」
とか、
「こんな非道いことをするお前は畜生道に落ちる!」
とかよく聞くセリフです。ここには真実が含まれていると思っています。人を殺めたり、道を外れたりすると、 最悪は人間にもなれずに動物などでやりなおし。命を全うして、役割をキチンと果たせると「人間以上の何か」 に生まれ変わるんだと思っています。輪廻転生というヤツです。では、「人間以上の何か」とはなんでしょうか。

この映画にはたくさんの神々が登場します。オシラ様とか、オクサレ様とかですね。 日本には「山の神様が・・・」、とか「川の神様が・・・」とかそういった民話が山ほどあります。「日本は神の国である。」 と言われてバッシングしまくられたあの太った人も、実は「日本は神々の国である。」といいたかったのでしょう。唯一彼に共感するところです。
思うに、「人間以上の存在」のそれらも我々の生まれ変わりの対象なのではないでしょうか。
例えば「山の神様」。結構忙しいのでしょう。決して自分の山だけのことを考えている訳ではありません。山を縫って流れる川や、 その山で暮らしている動物や虫、木々や草花といった生き物のそれぞれの命、その環境そのものが山の存在を「山」たらしめて、 大きなひとつの命を構成している。山の神様の仕事は山の全体最適化だと言うこともできます。
山にも寿命があります。水かさを増した海に飲み込まれるとか、気候変動で木々が枯れていくとか、 はたまた人間に荒らされてなくなるとか。でもその寿命は人間とは違って何千年の単位なのでしょう。そうすると今度はその山の神様も輪廻転生、 また生まれ変わるんでしょう。
この時もさっきと同じことがレベルを変えて起こるのでしょうか。今度はもっと大きな海の神様になるのか、 それとも大陸の神様になるのか。それらを繰り返して、その星の神様に、そう、「おかあちゃんは星に」なるんでしょうか。次は、星々の「系」や「宇宙」の神様になるんでしょうか。 でもきっと仕事のコンセプトは同じで、全体最適化だと思いたいです。ひとつの大きな「存在」を維持、構成するのが仕事だと。
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「この公園に命はいくつあるか?」
「わかんない。」
「ひとつ、じゃないの。」
「・・・そっかー。」
小学生の娘にきちんと意味が通じたかどうか判りませんが、割とシャレた答えに聞こえたようで、笑顔でそう応えてくれました。
投稿者 tatsuow : 06:23 | コメント (0) | トラックバック
2006年01月22日
[ 02 私の仕事 | 03 プライベート ]
文化放送 バンブー竹内さん
文化放送のバンブー竹内さんです。 何度かご紹介しておりますが、改めて。清水國明さんの自然樂校の事業説明会でお会いしてから、 早いモノでもう1年が立ちます。プロのアナウンサーなので、滑舌が良いのは当然のことながら、 話題も内容もいつも面白くて楽しい時間になります。
そう、話が面白いんです。ラジオの番組等に取り組む心構えみたいなことをあるパーティでお話ししていたときにコメントされていたのは、
「どのように人に伝えるか、が職業なので、 いつも伝える時の言葉を探しながら話を聞いていますね。」
なるほど。記憶が確かではいので言葉は正確ではありませんが、だいたいこのような事だったかと思います。 言葉が上手な人はたくさんいますが、バンブーさんの場合はそれだけではなくて、観察眼や切り口、構成力など、 どうも本質的なところが長年の仕事によって、鍛え上げられてきた、とそんな印象を持ちます。 國明さんの友人として参加された自然樂校の事業説明会では、誰よりも判りやすい話で、投資家を前のめりにさせていたのが印象的でした。
最近手に取った本ですが、共通点があるような気がします。この本の著者が言っているのは、
「文章を書くために生きてみなさい。そうすれば、モノを見る目が違ってくるし、 暮らし方が変わってくる。」
というものです。こうやってブログを書いている私にとっては、目から鱗が固まりで落ちるぐらいインパクトがありました。そうか、 書くために生きる、か。
バンブーさんのことを想い出してみて、バンブーさんはラジオやいろんな機会で、
「話すために、伝えるために、生きているのか」 と勝手に言い換えてみて、一人で頷いて見たりします。伝えるために生きる、って男の生き様っぽい表現ですね。
この日は下山キャプテンのロングボートカフェでちょっと遅い新年会でした。 バンブーさんに声を掛けて頂きました。

左から時計回りに、清水國明さん、岩崎宏美さん、岩崎良美さん、下山キャプテン、キャプテンJr.U1さん、バンブーさん、ケイちゃん、渡辺真知子さん。 バンブーさん、今後とも末永くよろしくお願いします。本年も楽しくいきましょう。
